現実とは

「現実とは、認識上共有しあえるファンタジ−にすぎない」

例えば小学校の時、先生が丸を書いてこの形は三角だと思う人手を挙げてくださいと言って、もし過半数以上がそれを三角だと思い(三角というもの自体を初めて見るとして)手を挙げるとする。そしてその先生が暴挙に走って。正解です、これは三角です。と、いうと手を挙げた子供の中ではそれは三角としてとらえてしまい、それが現実となる。考えてみよう。目の前にコップがあるとする。100人中100人全員にこれは何ですか?と訪ねてみてコップです。と、いう人もいればグラスです、と言う人もいるし、ある人の家庭ではコップは花立てとして使っているとその人は花立てだと言うかもしれない。コップを見たことのない文化圏の人に聞けばガラスの薄いかたまりだと答えるかもしれない。ただ、大多数がコップだと言うからコップなのだ。もう一度目の前のものを見て大多数の答えに流されずに物を見てみると違う物事も見えてくる。最終的には現実とは大多数が認める答えの事。ただそれだけである。