真の理解

「疑え 疑え 疑え そこに本質がある」

それは人の心を疑えという事じゃない。
現実をしっかり掴むための手段だ。例えば、目の前にコップがある。
我々はそれをコップと呼ぶが、いつもそれに花を刺してる人には花瓶なのだ。文化圏の全然違うところに行けばガラスの塊としか見ない人もいるだろう。まかり間違って、コップを壊してその音を楽しむ人が居たらその人にとっては遊び道具なのだ。あらゆる面から疑っていく。そうすると答えは一つじゃなくなる。マイノリティーを否定しますか?マイノリティーを否定したら少数派の意見は無視する事になる。それを知った上で、我々にはコップなんだ、と理解するとただコップだと思ってた時とは違う解釈ができるのだ。