「この道一筋」で来た人ほど病みやすい

これは経験上の話とカウンセラーとしてクライアントの統計を元にした話だが、
「この道一筋の頑固者」
が、「この道」を失った時大ダメージを精神的に喰らう。

自分の場合はこうだ。15歳の時にビートルズを聞いて貧乏の中、癒され、「コレだ」と思った。将来は必ずプロミュージシャンになって自分の曲を世に轟かそうと思った。
結局高校は公立に入れたので一応通った。

ただ自分の性格上、何でも自分なりに極めた!と感じるまでやめない性格なのだ。
だからあえて逃げ場を作らない。他の趣味もあまり持たないようにする。
結局プロフに書いてあるとおり、うちが貧しかったのと高校の教師と付き合ってたのがバレ辞めた。ただ実のところ、それより以前に高校は辞めようと思っていた。音楽に学歴はいらない。しかも逃げ道になる。だから辞めた動機にはそれも大いに含まれている。

そこから60’sのRock、とくにサイケ、プログレ、にハマリ、UKROCK全般にハマリ、段々玄人受けする音楽に変わってきた。
好きなCDを買うためには食べることすら全然我慢できた。まあ、その頃は悪い薬もやってたので食欲もそれほどまで無かった。ハマったアーティストの本も沢山読んで、Rockに生きようと決意した。

そこからは絵に描いたような波瀾万丈で綱渡りをするようなRock人間に。

それを取り上げられたら学歴も無く、免許も無く、生きてはいけないと思うほどだった。だがそれがRockな考えでもあると思っていた。
特に早死にした60’sのロッカーの生き方に共感し、ほとんどそれに近くなっていった。そして24の時、これならまあいいだろうというメジャー契約にたどり着いた。

そのバンドは11年間やってメジャーになって2年半で解散し、レーベルを移籍し違うバンドでまたCDデビューをする。
しかしあまりにRockに生きてきたおかげで争いが絶えず、ヘマをして28の時、1000万の借金を背負う。

その時某レコード会社の社長自らがうちのバンドをもっと大きく売り出そうとしてくれてた時期で、かなりのイニシャルも約束されていた。業界では重鎮と呼べる人だ。

しかし自分の信念上、信じてくれてる人にウソを付くことはできないので、なぜ、どういう人と、どうなって借金を背負ったのかを素直に話したらドン引きされてしまった。

それでバンドの士気も落ち、解散。その時28。そこからさらにもう一花と思い、ソロ
で活動しだしたが、30になり金も無く、やむおえず音楽を続けるのをで断念した。

自分の場合は断念する場合は断腸の思いで断念するのでこの1年半ギターにも触っていない。(楽曲提供の時だけは鍵盤を触る)

自分は壊れた。病んだのである。自分で音楽以外の取り柄を全て奪って生きてきたから。
うつ、不安神経症と病みに病んだ。落ちるところまで落ちて精神薬物依存にもなった。

しかし今は自分の新たなポテンシャルに気付き、新しい夢とともに過ごせている。Rockな生き方には変わりは無いが・・・・


話は変わるが自分のカウンセリングのクライアントの中に当時39歳男性、50歳男性、46歳男性(彼らの許可は得ています)らは、リストラ、自営業廃業、ミュージシャン廃業となった方々。

39歳男性は某大手会社をリストラされた。妻子をもあまり考えること無く仕事中毒な人間だった。それがまさかのリストラにあって、今まで支えであった「仕事」が無くなってしまったのだ。中毒になるまで仕事をしていたのだからそれは当然のこと。来たときはうつ状態統合失調症に近く、かなり危ない状態だった。カウンセリングが功を奏して今は前向きに転職し、生活にバランスを持っている。

50歳自営業廃業の方はお寿司屋さんの大将の人で15から寿司を握って来た人だ。「寿司一筋35年」これが廃業に追われた。原因は近所に大手の寿司屋の安いチェーン店が数年前にできたのが原因だった。来られた時は強迫観念が強く、さらに転職はしたっものの、全く知らない世界に来たわけなので、適応性障害も患っていた。
今は違う職場に行っている。元気でベンチプレスを趣味として始めた。

45歳ミュージシャンの方はスタジオドラマーで事務所に入っていたが事務所の倒産がきっかけ。自ら事務所を全て通してたので個人的ミュージシャンとの付き合いも少なく、断念。
そして社会に出るが20年以上音楽業界にいたのだ。初めての社会人。45になって、初めて税金の種類や、社会の言葉を覚えきれず適応性障害とパニック障害
今は美味しい物を出すお店を自分で発見し、それをHPにする趣味を持ってサラリーマンをやっている。しかもそのHPが話題になり広告収入も得ている。

自分の場合もそうだ。30から正社員としてある会社に勤めたが周りの言ってることの意味さえわからない。24歳の社員より社会的な知識が欠如してるのだ。
自分は思い知った。30からの社会人。かなり厳しかった。それまではアルバイトや派遣社員やかなり社会的には悪い事をしていた時期があったので音楽とともに楽しくやって来たが、いざ「正社員」という言葉に押しつぶされそうになり、音楽を取り払った自分は、取り柄が全くなく感じて無気力になったのである。

以前最初に組んでたバンドのメンバーは、1人は今でも続けているが、自分ほどストイックでは無かった。なので他の趣味も持ってしたし、高校も出てるし、免許もあるし、時に新聞なども読んでいたので簡単に社会復帰を果たしている。

その頃思い出したのはある音楽雑誌のインタビューに自分はRockと心中しそうな男と書かれた事。
2chにはもうかなり昔のスレッドなのでお蔵入りしてるがそのバンドで一人だけ病的なオーラが漂っていた。などと書かれていた事を思い出した。

病まないために健康的に音楽をやったり仕事をするには適度な運動や、社会勉強、そして趣味や万が一の時のための逃げ道がある方が良いのだ。バランスが必要なのだ。

自分は病んだ事に後悔は全く無いが・・それはカウンセラーとして大きな武器になるからだ。精神薬の副作用もわかっている。今は全てをポジティブに捉え生きている。

その道一筋にこれから入ろうとする人は病みは覚悟せねばならない。万が一という事は起こるものだ。

そんな自分はまたカウンセラーという仕事をその道一本にしようと頑張っている。