男女は理解し合うのは難しい?

恋人や夫婦の間での男女の理解のしあいというのは難しいものなのだ。
理解と協力をはき違えてはいけない。

よく、良き理解者と自分の伴侶の事を言うがそういうカップルに限って理解よりも協力を得ているのだ。

男女、そりゃ魂レベルでは同じでも何十年も生きてれば育った環境も違うし、男と女が互いに理解しあう事は不可能に近い。男は女の事をわからないし女は男の事を分かる事はできない。だからこそ惹かれ合うものだし。

よっぽどソウルメイト的な存在の場合は別だ。
フィーリングとバイブレーションで男女間を超越して分かり合う事ができるからだ。

良き伴侶や恋人というのは互いに自分は男であり、自分は女でありを自分自身が理解したうえで良き協力をしているのだ。
これは男女間の友情の成立の時も同じである。

男も女も自分が異性だったら?という事は考えるが決してそれに成りきる事は不可能なのだ。不可能ゆえに真の理解はできない。
それをわきまえた上でパートナーシップを築いてるカップルは長く続くパターンが多いのだ。誰しも自分に他人が成りきる事ができないのと同じで男も女に成りきれないし、女も男に成りきれない。
そりゃ近づく事はできる。

それ以前に男らしさ女らしさより共通する人間らしさを追求して、その上で協力するのだ。そこは共有スペースだからだ。

理解のしあいに注意を払ってばかりいると「なんで私の事わかってくれないの?」「何で俺の事もっとわからないんだ?」という喧嘩が多々勃発する。

それ以前に人間らしさという同じ認識の中で共感を持ち、その中でいかに協力できるかを話し合った方が意外と建設的なのだ。
男女の理解のし合いより協力のし合いの方が有効なのだ。

理解があっての協力じゃない?と言われると思うがそれならセックスを考えてほしい。互いが自分の性を知ってるからこそできるものなのだ。それは理解より協力なのだ。理解と協力を同義語ととらえてはいけない。