臆病と残酷

「臆病な事は時折残酷な事でもある」

これは今日感じた事だ。

たった今、飲み物を買いにコンビニに行った。
よく行く店だ。

行くと、なんとレジの前で人が倒れている。見た目50歳代男性だ。
意識は少々。
客もそのほかに一人。店員は二人。

二人のうち一人はバッジにマネージャーと書かれてる30歳くらいの男性。
この方はよく行く店なので顔は知っていた。

もう一人は「研修中」とバッジに書かれたパートらしきおばちゃんだった。
そのおばちゃんとその倒れてる方より前からいたお客さんのおばちゃんがいた。

店員のおばちゃんに何があったの?と訪ねると、支払い中に突然倒れたという事で、しょっちゅう来るお客さんらしく、持病というか障害を持ってるらしく、普段来店する際はその母親から電話が来て息子に「これとこれを持たせてやって下さい」という電話が来てるらしいが今日は電話が無く、一人で来たという事だ。

その倒れている方より前にいたおばちゃんと店員のおばちゃんと自分でまずは頭を高くして寝かした。救急車は呼んだらしいがまだ来ない。
てんかんであれば少々の知識があるがどうやらてんかんでは無かった。

足部が硬化しているのがわかった。しかし意識がだんだんもうろうとしてきたので、急を要すると思い、ちょうどその人が支払いに来たものが公共料金で、その人の家の住所と名前がわかったので救急車が遅いので病状を聞かないと応急処置も適切にできないのでなんとかお母さんと連絡を取ろうと104にその人の支払い用紙に書いてる住所と名前を言い電話番号を聞こうとしたがオペレーターはお届けが無いの一点張り。事情を説明しても規則なのでお教えできませんの一点張り。

その間マネージャーの男性は恐がりならがチラチラこっちを見て、触らぬ神にたたり無しという感じだった。
恐れていたのだろう。目の前で死んでしまっては?自分が変な処置をして逆におかしくなって自分の責任を問われては?と自問自答していたのだろう。

他の客もいなく、さして他に仕事があるようにも見えなかった。ただ恐る恐るこっちを見ている。

自分は支払い用紙から名前がわかったので意識を失わないように名前を呼び続けた。もう一人の自分より先にいたお客さんのおばちゃんも体の位置を調整したり、パートのおばちゃんも枕の位置をずらしてあげたり色々していた。

取りあえず救急車が来るまで待って救急隊員と話をして担架が救急車に入るまで見届けた。

もしこれが刺された人でかなりの出血だったら?もし死につながる倒れ方だったら?絶対的に第三者の助けが必要だ。少なくとも救急車が来るまでの応急処置が必要だ。

コンビニのマネージャークラスの人間が目の前で人が倒れてるのに臆病さゆえにそっぽを向いているのはどうかと思った。

臆病は否定しない。人間は臆病な事で逆に良いことがある時もある。ただ、臆病はできるなら使い分けなきゃいけない。簡単に臆病を操ることはできないのだが・・

だがこれが見るからに重傷で何人もの応急処置が必要だとしても触らぬ神にたたり無しで無視して、その人が死んだとして・・
きっとそのマネージャーはそれを一生後悔する事になるだろう。

時に臆病は人にとっても自分にとっても残酷なものなのだ。

さして自分のした事やおばちゃん達のした事は特別な事では無く、人間として当たり前の事だと思う。

その間お客さんが何人か入ってきたが入り口で人が倒れてるのを見てすかさず出て行った人たちが何人かいた。

自分さえよければいいのだろうか?
そういう人を作り出す今の社会にまずは疑問を感じる


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