あなたにもできる手当てと癒し
人は応急処置や怪我をして治療を受ける事を手当てするという。
手当てとはどういう事か?
人は体に痛い部位があるとそこに手を当てる。無意識的にでもどこか痛かったりすると人はなぜか手をそこに当てる。
これこそが手当ての由来なのだと思う。痛いところに手を当てる事こそが手当てなのだ。
昔は東洋、西洋を問わず、患部に、目上の人、信頼する人、愛する人、家族、僧侶、聖職者、呪術者、巫女等が手を当て、その力で癒すと考えられていた。聖書でもイエス・キリストが手を当てて病を癒す場面がある。仏陀も手を当てたりしたという。
その昔の意識が人間の潜在意識に残っており、そのために人は痛い場所に手を当てるのでは無いだろうか。
小さいころ母親が自分が腹が痛いとき手でさすってくれたのを覚えている。
それで痛みが和らいだ事もあった。
実は心もそうなのだ。
心にもどんな人でも痛い所を持っている。心の中の自分は心の痛い箇所に手を当てたいが心は見えない。
だから手当てをされていない箇所が沢山あるのだ。
心を見ようと努力してる人は相手の心に手を当ててあげる事ができる。何も心理学関係の人間だけがそうでは無い。心を大切にする人はどんな商売をやっていようが相手の心の痛い箇所を発見する事ができる。
水商売を頑張ってる人、営業の上手い人、癒し系のお仕事をしてる人。接客がうまい人。そんな人は心を知らぬ間に学んでる人が多い。
そういう人は相手の心の痛い部分に愛情を持って手を当ててあげよう。
もしかしたら癒す事ができるかもしれない。
手当てとは不思議なものだ。
下記映画はマイケル・キートンとニコール・キッドマン主演の映画でキートンは癌を告知され余命幾ばく。
キートンは幼少期にトラウマを持っており、半強制的に中国気功師の元に行く。そこで手をかざされ、ヒーリングを行われ、余命が伸びる。
ここにも手が出てくる。