世界を動かす力と子供心

つまる所、「不思議がる心」が世界を動かす。

そもそも「コレ」は何だ?と感じるところから哲学や科学や宗教や神秘や思想が生まれる。発生源は同じで最終的に行きつく所はきっと同じなのだろう。ただツールが違うだけ。そしてそれらが大元になって色々なものが発達している。

じゃあ「不思議がる心」とは?
それは子供心なのだ。
子供はあらゆる事に不思議がる。
いや、不思議がる事ができる心を持ってるのだ。

アインシュタインが子供の頃、方位磁針を見て何でコレはいつも北を指すのだろうと不思議がらなければ相対性理論は生まれなかっただろう。

釈迦がなぜ差別があるのかを少年の時に不思議がらなければ仏陀は生まれず仏教も無いだろう。

ソクラテスが「知」とはそもそも何なのかを不思議がらなければ「無知の知」は生まれなかっただろう。

エジソンがそもそも学校とは何の意味があるのか不思議がらなければ電気が発見されるのが遅れていただろう。

ジョン・レノンポール・マッカートニーが若い頃何でエルビスがこんなにカッコイイのか不思議がらなければビートルズは生まれなかっただろう。

子供心は世界を動かす。

子供の疑問には自分がわかるかぎり教えてあげなければならない。
いつまでも全て教えきるのはいけない。自立心を育てなくするからだ。
しかし幼少期はしっかり教えてやらなければならない。愛情を持って。

子供の質問を愚問に感じてしまう大人がいてはいけない。
子供の質問に全然答えれないほど無知な大人ではいけない。

わかる所まで親身に教えてあげるのだ。
そして自分がわからなかったら一緒に不思議がってあげれなければならない。

教えても教えても理解してくれなかったら自分の教え方が悪いのか、その子が普通以上に物事に不思議がる事のできる子供かもしれないと考えてみなければならない。

子供心を蹴飛ばす世界になりつつある。

少子化や子宮の病気が若年で流行ったりHIVが流行したりするのは実は偶然ではなく、地球自身が我々に忠告しているのだと私は感じる。

子供心を共有できる大人がいなくなりつつある。
幼児虐待や少年少女の自殺やいじめや凶悪犯行、若い世代での心の病気、これらは大人が子供心を粗雑に扱った結果に等しい。

真の親や大人は世界中の子供に自分の子供と同様に「愛しているよ」と心から言えなければならない。
真の大人は子供心を持っているのだ。
いや、持たなくてはならない。

「不思議」とは思考では無く魂が感じるものなのだ。
その「感じる力」を粗雑に扱えば子供はいつしか感じる事を忘れる。
「思考」ばかりする子供になってしまう。

子供心をしっかり育ててあげなければならない。
感じる心、不思議がる心をしっかり育てれば世界は良く変わっていくだろう。
しかししかるべくして育てない場合、子供心は世の中を悪く変えてしまう。
子供心とは凄まじい力を持っているのだ。
間違って扱うと世界は悪くなっていく。

良きにしろ悪きにしろ子供心とは世界を変える力を持っているのだ。

あなたは一日に一個、いや一週間に一個、一ヶ月に一個、不思議に感じる事はあるだろうか?
もし無いのであれば悟りを開いているのか、麻痺しているのか・・

この世は不思議だらけだ。
そう感じる子供心が世界を変える。
せっかく変えるなら良い方向に変わった方が良いじゃないか?

それでは子供心をどう良い方向に向けるのか?

それは「愛」であり「愛」でしかない。
それ以上でもなければそれ以下でも無い。

じゃあその「愛」とは?
子供心を良い方向に動かす「愛」とは?
私はいつもそれに関して不思議だ。
だから探求する。

私は少年時代凄まじく貧乏な家庭に育った。
しかし今では身体障害者となった母親、家業が廃業になり心臓を悪くしてもタクシードライバーをしている父親から「愛」を沢山もらった事、そして生んでくれた事に感謝している。

彼らは今でも子供心を持っている。

この文は馬鹿息子の私が4月7日の誕生日を迎えたときに彼らにしたためたが何か水くさくて出せなかった手紙からの抜粋である。