死とは何か?

死とは尺度なのだ
 
死は実の所良き友として考えなければならない。いや、考えた方が楽なのだ。
魂の普遍性や不滅を信じるのであれば、死を尺度として捉える事ができる。

人間は何かにつけて、
これは自分の物だ、これは自分の妻だ、これは自分の服だ、
これは自分のレコードだ、これは自分の金だ・・・・など、
何でも所有権を誇示するものだが・・・・
実は死ねばそれが自分の物では無かった事がはっきりわかるだろう。
死んで残るのは自分の魂だけなのだ。裸の自分の魂一つなのだ。

そこに自分の妻はいない、自分のレコードはない、自分の金は無い。
自分が本当に所有しているもの(生きていても死しても) - は、
つまる所自分自身の魂なのだ。

磨き上げるべきは、タンスや床だけではなくまずは
自己の魂を磨き上げなければならない。
それを死んでから悟るのと生きているうちに悟るのでは、格段の差がある。

生きている内に魂に磨きをかけるのであれば、
そこから放たれる人徳、人望、全てが良い方向へ向かうだろう。
死は尺度なのだ。死は自分が何を所有しているのかを明確にしてくれる。
そういう見方もあるのではないかと思う。

無論、死を友として考える際、ただ尺度とだけ捉えるだけでは乏しすぎるが、
ただ、そういう一面も持っているという事は明らかだ。

死も生も魂も全てが真実であり、リアルなのだ。

そして真実は多面体なのだ。
内なる魂に少しでも磨きをかけるにはまず感受性を深める事だ。
何かを違った角度から見る事だ。
今、目の前のティーカップに入っているコーヒーが半分だとしたらどう思うだろうか?
「あぁ、もう半分しかない」と、考えるか、「まだ、半分も残っているじゃないか!」と考えるか、
朝が来たら『さあ、朝だ!」と思うか、「また、いつもと同じ朝が来たか・・」と考えるか、、、
ポジティブに考えられるかネガティブに考えるか・・・
その考え方の違いで自分の未来の方向はかなり変わるだろう。

感受性を深め、色々な事に傷付く事ができ、色々な経験の持ち主にも共感ができるような魂を内なる自分として持っていればそれは何たる強さの証だろうか。

「肉体を破壊する力はあってもあなたの魂を滅ぼす力は無い」
どこかで読んだ事は無いだろうか。これを読んでいるあなたが何歳でも構わない。
死と対峙してみよう。どうせそれは模擬対峙に過ぎないのだから。
どうせ皆いずれ死と対峙しなければならないのだから。