窮屈になる世界

自分の生きてる世界が段々窮屈になっていってる。
子供の頃、大人になったら奇麗な世界が広がってると思っていたし、大人達も子供に奇麗な部分しか見せなかった。
今や、テクノロジーやメディアが発達しすぎてその速度に人間の心がついていけてない。大人になるにつれて嘘が沢山見えてくる。嘘だらけ。だから自分の好きな嘘を一つ信じて生きていこうと思ったが、あまりに嘘が多すぎて選びきれない。演出という名目のTV番組のヤラセ、いまやニュースにもヤラセが存在している。奇麗な世界はどこにあるのだろうか?
それは自分の中に見いだすしか無いのだと思う

確実に言えるのは科学が発達し、全てがデジタル化すると人間の心にもそれが反映する。こと、子供や多感な時期はそうだ。
心がデジタル化されてしまう。
自分が少年の時、カセットテープを使い回していた。
一回何かを録音したテープをまっさらにするにはダブルデッキでまっさらなテープをその対象となるテープにダビングして使い回していた。いわゆる再生時間と同じ消去時間が必要だったのだ。
しかし、今はMDにしろMP3にしろDVDにしろ「イレース」という言葉、ボタン一つで一瞬にして消えてしまうのだ。
子供の頃ケンカをしょっちゅうした。普通順番があるものだ。
口げんか→つかみ合い→殴り合い→倒れたらそれ以上やらない。
今はどうだろう?
キレる→刺す
いとも簡単にキレやすくなる少年達。
これは科学の発達やデジタル化の反映でもあるのだ。

こんな窮屈になった時代の子供は可哀想だ。だからこそ自由や真実を自らの内に発見しなければならない。