こんな経験ありますか?

こういう経験は無いだろうか?
友達や、職場の人間から寝てる時に電話がかかって来て、「寝てた?ごめん」と、言われると「いや、大丈夫、寝てないよ」と、寝てるのに言ってしまっている事。

これは一見相手が気遣ってくれてるように感じるからこっちも逆に気遣って嘘をとっさに言ってしまうというように見える。いわゆる気配りの精神である。

しかし、これがごく親しい人間だったり例えば親だったり(人によって違うが)素直に寝てたと言ってしまう相手がいるはずだ。
この経験でどんな人間にも相手に対してでも「うん、寝てた」と、素直に言う人間は世間で言ういわゆる裏表の無い人間なのだ。

 裏表の無い人間と言うと聞こえは良いし、あの人裏表のある人間だよと聞くと、イメージが良くない。しかし人間には皆ペルソナ(心理学用語で仮面)という一面を持っている。例えば、上司と口を聞く場合と親と口を聞く場合、または恋人と口を聞く場合声のトーンが違ったり、口調や言葉遣いは違わないだろうか?
もし全ての人間に対して全く同じ接し方をしてるのであればその人は本当に裏表がない。いわゆるペルソナが少ないのか無いのか。しかし、親に対する口のきき方や上司に対する口のききかたと赤ちゃんに対しての口のきき方が同じ人間がいるとすれば逆にこれはおかしな事である。通常そうはならない。従って通常の人達はペルソナを必ず持っている。

このペルソナが少ない人間を、みな裏表が無い人と呼ぶ。ペルソナが多い人間は多分にして人間観察が好きで、洞察が好きな人が多い。
色々な人と会っているうちに自分の中で人を統計分けするのだ。なのでこういうタイプの人にはこういう自分で。と、いう設定ができあがる。そしてそれがいつのまにか慣れのせいで本能的にあらゆる人に合った接し方をする。従って裏表のない、ある、で、その人をイメージ付けるのは良くない事なのである。
ペルソナ持ちは気遣いに富んでいる。ペルソナが少ない人が気遣いをできないと言っている訳では無い。

話は戻るが電話が来て、本当は寝ていたのに寝てなかったよ。と答える人はもうすでにペルソナ持ちなのである。その人に合った対応を無意識にしようとしている心理の表れなのである。
きっとこれを読んでるあなたにも経験があるはずだ。

裏表の無い人が好きという話をよく聞きますが誰もが持っています。

裏表があるか無いかで人の善し悪しを決めてはいけないと思います。