美しさは悲しみに似ている

「哀しい程に美しい」という言葉をしばしば耳にする。美しさを形容する時に、なぜか「喜ばしい程に」という形容は耳にした事が無い。美しさは哀しみと似ているのかな?と、思う事がある。ベートーベンの第九、ビーチボーイズのGOD ONLY KNOWS、はたまた富良野の一面に咲くラベンダー、好きな人の笑顔。本当に美しいと感じた時「切なさ」がある。それはきっと「唯一感」の成せる技だと思う。本当に美しいと感じるモノに、人は「なんでこんなに美しいモノが存在するんだろう」と、思うに違い無い。そこに「唯一」のモノを感じるのだろう。そして唯一のモノというのはその存在自体がとてもデリケートなんだ。もしそれほどにも美しいものが沢山あるのなら、「唯一感」は無くなる。しかし唯一だからこそそこに哀しみが潜んでいるんだ。真の芸術というモノにはその「唯一感」がある。と、言う事は人間自体も芸術なんだ。なぜなら「自分」は一人しかいなく「唯一」だからだ。それだけじゃなくこの世に存在する全ては芸術と言えるのだろう。全く同じものなどこの世には存在しないのだから。人間がつくるモノにしろ、大自然が織り成す光景にしろ、そこらへんにある石コロにしろ、それが出来るまでには各々の過程があり、物語りがある。そしていつしか終わる。大好きな曲にも初めと終わりがあるように全ては流れて空に消えて行く。全ての存在は唯一であり、そして哀しい。

 赤ん坊はこの世に生を受けてすぐに泣き出す。もしかしたら全てが「唯一」のこの世に生まれ、その美しさに潜む存在の虚しさと哀しみに心を打たれて泣いているのかもしれない。

やがてその無垢な瞳を理性という色眼鏡が覆い隠し大人になると美しいものが見えずらくなるのだろう・・・・