心のマッサージ

人は体のマッサージには行きます。そりゃ生きていればいるほど体も機械のようにどこか不具合を出します。整体、整骨、岩盤浴、美容、エステしかり。

さて皆さん、心という言葉の由来をご存じでしょうか。

私は日本語における言葉の由来を知るのが好きです。

知る限りでは心の語源は、「凝々(こりこり)」「凝々(ころころ)」「凝る(こごる)」などから「こころ」になったとする「凝る」の字が元だという説が多いですが、本当に正確な語源はまだわからないと思います。大多数の意見ではこちらが多いです。

漢字における「心」は、心臓の形を文字にしたとされ、中国語では心臓の鼓動と精神状況が結びつけて考えられていたといいます。

日本語の「こころ」も、『万葉集』には「肝向ふ 心砕けて』とあり、こころは「肝(肝臓)」と向かい合う、心臓を意味する言葉であったとされる。
中古以後に、「こころ」は臓器としての「心臓」の意味が薄れ、漢語の「心(しん)」に代わり、「心の臓」という形で「心臓」を意味するようになったとも言われます。また、最近ではカタカナが浸透しているため、心というとハートという言葉を連想する人も多いのです。

つまり心というのは元々体と同じく凝るのです。ストレス社会で生きていて凝っていない人はいないと言ってもいいでしょう。しかし凝りすぎているとそれ自身が普通になってしまうので凝っていないと思いますし、凝っていても気づかない事が多いのです。肩こりと一緒です。
そして凝りを放っておくと頭痛が出たりするように心の凝りも放っておくと何かしらに影響していきます。


また、私はしょっちゅう血液検査に行ったり、整骨に行ったりして自分の状況を把握します。NGがあれば良くするように心がけ、骨がずれているようでしたら何らかの処置をします。

心も体も定期的な健康診断が必要なのです。
自分を知るためなのです。

凝り固まった心をほぐすためのカウンセリング、心の定期検診としてのカウンセリング。

それでも必要無いと言われるのでしょうか。
自分の背中は絶対自分の目では見ることはできません。
心もしかり。自分の心の背中を見る事はできません。

自分の事は自分が一番よく知っていると自負する方がいますが、それはおごり高ぶりです。
私自身も見えません。唯一心理学や精神医学というツールをしっかりと持っていればそれは心の中に鏡として置かれます。それを持っているのであれば自分の背中も見る事ができるでしょう。
それをしている人は自分の事は自分が一番よく分かると言えると思います。

自分を知ると言う事は自分の体の状況や心の状況を知っている人です。

マッサージというのは必要なのです。

しかし、良いマッサージ師と悪いマッサージ師がいる事を忘れてはいけない。
悪いマッサージ師はマッサージに依存させ、根治を教えずずっと客を取る。