想像してみてごらん
「自分は目が見えないと思ってごらん、その人の心の綺麗さがわかる。その人の心の温度がわかる」
目の見えない人にとって支えになるのは心の綺麗さだ。
俺のお袋は多発性硬化症という難病で日々身体の随所の神経を奪われていく。
未だ治療法は無い。
ここ数年は最初になった下半身不随からゆっくりと色々な神経を奪い、ついには視神経をやられている。
もう盲目に近い。
あなたはこれを読んでいる限り目が見えている。視力が悪いにしても今読めている。
近親に目の見えない人や障害者がいると、自分がもし目が見えなかったら?と、想定する。いや、想定してしまう。
そうなった悲しみは残念ながら本質的にわかってあげる事は本人で無い以上できない。
しかし人間は想定はできる。
だから自分の少ない脳みそを使って色々想定するん。
もし目が見えなかったら?
もし耳が聞こえなかったら?
もし下半身不随だったら?
そうやって想定を重ねる毎にそういう人に優しくなれる。
それは同情では無い。共感でも無い。
自分の少ない脳みそ振り絞って想像を重ねていくと、それは同情でも共感でも、ましてや憐れみでも無く「愛」なのではないか。
ちなみに数年前どうしても身体に障害のある人の気持ちを少しでもわかりたくて、あえて自分の前腕の神経を麻痺させた事がある。
橈骨神経麻痺というもので寝ている時間などにあまりに熟睡していて、腕を身体の下にずっとやったまま長く睡眠しているとまれに起こるらしい。
それを知って毎日自分の腕をビニールテープで背中にくっつけ寝返りを打てない状態にして、何回かトライしたら10数回目でなった。
自分の前腕があるのに無いように感じた。あっても動かせないので邪魔にも思えた。病院では若いから2週間くらいで治るよと言われたが完治まで3ヶ月かかった。
左手のたかだか前腕が使えないくらいで凄まじく不便でならなかった。スーツを着て片手でネクタイを締めるのもとても難しかった。
俺の場合は想像だけじゃなくそういう事をやってしまうふしがあるから皆さんは想像の域で止めましょう!